研修所開設50周年記念講演会2025年9月8日 研修所設立の意義(浅野正紀)、聖書とキリスト-創立40周年記念宣言この方- (牧野信成)
聖書とキリスト-創立40周年記念宣言この方- (牧野信成)
今年の6月の定期大会で創立80周年記念宣言の第3次草案が出されて、その一部について私も強い反対意見を述べたのですが、もう一つ気にかかったのはそこに盛り込まれた聖書と信条の理解についてです。「Ⅱ-(3)『神の国』と信仰告白」にはこうあります。
「私たちは、この神学的伝統を用い、改革派諸信条の聖書論に堅く立って旧新約聖書を一貫性をもって理解し、御言葉から右にも左にも逸れず、さらに何一つ加えることも、減らすこともしません」。
「改革派諸信条の聖書論に堅く立って」とあるところには注が付けられていて、40周年宣言「一、聖書について」が参照されています。しかし、「御言葉から右にも左にも逸れず」という申命記的律法遵守の表現や、「何一つ加えることも、減らすこともしない」という正典定式を直接聖書から引用するセンスは、果たして改革派諸信条の聖書論や40周年宣言から出て来たものなのか疑問です。
改革派教会が10年毎に出して来た宣言はそれに学んだ世代をそれぞれに形作って来たように思われます。例えば、第2世代の先生方は創立宣言を特に重視して教派形成に取り組まれましたし、その次の世代は20周年宣言を基礎に神学と伝道に力を尽くしました。30周年宣言は教会と国家の問題を取り扱って神学というよりはヤスクニ問題の実践的方向で教会の働きを促し、その頃の教会はよくデモにも出かけました。私はその次の40周年宣言の世代で、東部中会の青年会では度々青年修養会のテーマに取り上げられましたし、有楽町で行われた記念信徒大会にも青年奉仕者として参加したことが印象深く記憶に残っています。
40周年記念宣言については、その起草者である矢内昭二先生を始め、榊原康夫先生や岩永隆先生、鈴木牧雄先生ら、研修所の教師を務めた先生方が「まじわり」他の文書で度々解説なさったのを今も辿ることができます。「まじわり」で検索する場合は「40」を漢数字「四十」で探す必要があります。神学生の時以来、私が時々参照していたのは全国青年会修養会委員会より発行された第6回全国青年会修養会報告書で、1993年に恵みシャレー軽井沢で鈴木牧雄先生がなさった講演です。「キリストとみことば-『聖書についての信仰の宣言』に学ぶ-」という題が付けられています。40周年宣言が出されたのは1986年ですから、それから既に7年が経過していますが、次の50周年宣言「予定について」を起草する段階で、改めて確認しておかねばならないと言って、このテーマが選ばれています。
この修養会には私は参加していなかったようですが-巻末の名簿に名前がないので-、講演の中の話で特に印象に残ったのは、「改革派は福音派でない」という議論でした。榊原康夫先生の言葉を引用しながら、「『有機的、十全的、逐語的霊感』による聖書の無謬性と権威の理解にも、ファンダメンタリスチック(福音派的な)それとは違うニューアンスを生ずると思います」と述べて、バルト神学などより福音派の影響の方が重大で危険である、と鈴木先生が私見を述べておられます。
福音派の聖書観というのは1978年にアメリカで出された「シカゴ声明」によく表れています。この文書の翻訳は第41回定期大会の記録にも掲載されていますが、『聖書の無誤性に関するシカゴ声明』というタイトルにも表れているように、改革派教会が信じるところの「無謬性」とは異なる「無誤性」の主張を主眼としています。今その違いの解説はしませんが、ウェストミンスター信仰告白や40周年宣言では無謬性を主張していますので、「聖書は誤りなき神の言葉」ではあっても福音派とは異なる見解をもってきました。
そうした改革派の立場について鈴木先生が紹介しているのは、20周年(1966年)の時になされた安田吉三郎教師と田中剛二先生による座談会の記録で、「改革派教会はリベラルでもなく、ファンダメンタリストでもなく、リフォームドという第3の道を進むべき」との談話です。この議論は前神学校校長の牧田吉和先生にも引き継がれていて、昨年の研修所開講講演で井上有子姉が紹介されたように『教会教義学第1巻序論』の中にある「有機的霊感論」で確認することができます。
80周年を迎えようと言う今日、「聖書についての信仰の宣言」から40年が過ぎて私たちはどこに立っているでしょうか。先日、仙台で行われた信徒修養会で、CRCのスパーリンク宣教師の講演会と帰国に際しての感謝会がありましたけれども、そこで同教師は、改革派教会の聖書観が心配だと言って、イザヤ書の緒論問題に触れました。イザヤ書は預言者イザヤという一人の預言者によって書かれた、というものです。典型的なファンダメンタルな立場ですが、今はこういう答えを教師試験で答えたら合格はできないでしょう。私が神学校に入学した時、旧約学の教授は富井悠夫先生で、「自分はスーパーウルトラ保守だ」と前置きをして授業を行っていました。エドワード・ヤングの緒論を教科書にして、たくさんの資料をコピーして講義をされました。片や、旧約概説を担当されたのは西田三郎先生で、教科書はクラウス・ヴェスターマンの『聖書の基礎知識-旧約編』で、そこで初めてヴェルハウゼンのJEDPなどを教わりました。続いて安田吉三郎先生がハンス・ヴァルター・ヴォルフの『旧約聖書』で「旧約釈義」の講義をしたり、ゲアハルト・フォン・ラートの『旧約聖書神学』を教えてくださいました。改革派教会の聖書神学という点では、やはり安田吉三郎先生が「新約神学」の中でゲルハルダス・ヴォスの聖書神学を教えてくださいました。
40周年の「聖書についての宣言」に反対する教師も少なくなかったところで、聖書を丁寧に教えて来た矢内昭二先生、榊原康夫先生、安田吉三郎先生、また聖書論を丁寧に教えてくださった牧田吉和先生は、福音派のファンダメンタルな聖書理解とは一線を画して、リフォームドの道を進めておられたわけです。それを引き継ぐつもりで私も留学して聖書学を持ち帰り、神学校で講義していました。
1つのポイントは聖書批評学をどう評価するかでしょう。かつて水垣渉先生が聖書神学の特別講義を神学校でしてくださったときに、ルーテル教会に所属する先輩が「批評学に対する福音派の巻き返し」と言って意見を求めたのですけれども、水垣先生は「批評学なんて知らない」と取り合いませんでした。つまり、「批評学」という物言いはキリスト教会ではしきりに使われた表現ですが、聖書の学問的な扱いを専門にする先生方にとっては「批評」でもなんでもなくて、それは当たり前の研究のことなので、お話にならんということだったのでしょう。
私が留学中にもそれと似たようなシーンを観たことがあります。聖書緒論の授業で、先生はモルデカイ・コーガンという聖書歴史の教授でしたが、授業中に宗教家の家庭から来たと思われる-身なりでだいたいわかる-学生が聖書の著者に関する保守的な意見で反論したところ、教授は教卓の椅子に足をのせて、口角泡を飛ばして「ここは大学である」と大声で学生に答えて、学生は教室を出て行ってしまった、ことがありました。ヘブライ大学の教授たちの中にもユダヤ教の信者でラビの資格を持った方もいますが、信仰と学問の両立についてはきちんとわきまえているように思われました。
「聖書についての信仰の宣言」では「文献的歴史的研究の必要」を訴えることが一つの特徴となっています。おそらくこの点に反対する議員が大会にはあったはずです。そこではこう書かれています。
聖書を解釈するにあたっては、その文章が書かれた時の歴史的状況と文学様式に考慮を払い、文献的歴史的理解をもって近付かなければならない。そこで、私たちは、歴史における聖書の位置と背景、ならびに聖書の性質と目的をよりよく理解する助けとなるような聖書の研究は、これを歓迎する。
また、「その益」として、
聖書全体が神的性格と人間的歴史的性格との両面を備えていることを、正しく認めることによって、教会は、聖書のもろもろの言葉の中に神のみ声を一層よく聞きとることができるのである。
この聖書の二性一人格的な性格についてはキリスト論に通じる点があって重要ですが、これについては後でまた触れます。ここでお話ししたいのは、いわゆる「批評学」と言われた聖書研究を構成する二つの側面、聖書の歴史的性格と文学的性格であった、これを弁えることが聖書の解釈の要となります。信徒向けの書物としては、榊原康夫先生が『聖書読解術』という本を大昔(1970年)に出されていますから、改革派教会の信徒なら知らないわけではないはずです。
「歴史」という問題では、聖書の記述そのものに誤りがあるはずもないので、この点がいわゆる「歴史批評学」の論争になってきたところです。榊原先生のこの頃の本の書き口は結構過激です。
「どんなものでも、疑わないものには進歩がありません。懐疑は進歩の源であります。ですから、変な言いかたですけれども、聖書を霊感されているのだからというので、あまり信用しすぎていらっしゃいますと、聖書は研究できません。なるべくかんぐることが必要であります」
などと述べています(『聖書読解術』85-86頁)。もっともなことですけれども、聖書の人間的な性格というのは、聖書は天から降って来た書物ではなくて、現実の歴史の中で人間が人間の言葉で記した書物であることを前提にしています。ですから、まず言語に習熟しなくてはならないのですが、その上で、それを誰が書いたのか、どう書いたのか、何のために書いたのか、を明らかにするのが聖書学の課題です。
例えば、創世記の冒頭にある天地創造の記事です。神が書いたのだからこれはそのまま事実だという観点でファンダメンタルな立場は解釈しますが、その場合、その記事は神がモーセにそれをお与えになったというモーセの著者性という伝統的な見解を取るのでしょう。しかし、文献学の見地からすると、天地創造の記事は祭司的な文書であって、神による万物の創造を神学的・詩的に練り上げた弁証的な文章です。この辺りは数々の創造物語を生み出して来た古代オリエント文学が参考になるのでして、神々による創造や自然からの流出という古代の神話に対して、永遠の神による万物の創造という神学をもって神の真実を証しているのです。この創造の順序が科学的にも正しいと主張するのは聖書の「無誤性」に固着する人々の誤りでしょう。
人間の創造についてもそうです。神が人間を創造したのであって、昔の神々が人間になったのでも、獣が人間になったのでもない、とするのが聖書の神学的な見解です。『ギルガメシュ叙事詩』に出てくるエンキドゥなどは、初めは動物と言葉を交わす獣であったところが、女性との出会いによって人間になる過程を描いていますが、聖書は、そうではなくて、神がご自分に似せて人間をつくったとされます。そこで「男と女」という性の区別をもうけられたことが創造の秩序だなどと主張されてきましたが、その間がないとは聖書は言っていません。二つの極をもって全体を表す「メリズム」という表現は聖書では時々みられます。また、生物の創造に関しても、今日の私たちの生物学・博物誌が聖書に則っているわけではないでしょう。「恐竜はどこにいる?」と子どもでも気が付きます。
この辺りの文学性の話は次にして、まずは歴史の問題です。神学校で教わった富井悠夫先生が天に召されて、その蔵書を譲り受けました。英書が殆どですが、その中に『史的アダムの探求』なる本があるのには驚きました。読むつもりはありませんが、おそらくそんな課題を本気で追及した研究書でしょう。ノアの箱舟を探したとかは聞いたことがあります。また歴史的探究と言えば、新約聖書では「史的イエスの探求」は聖書研究の常道です。しかし、「アダム」を本気で探す分野があるとは知りませんでした。
聖書の歴史研究は米国のジョン・ブライトによる古典的な教科書からイスラエルやヨーロッパの学者たちによる、「ミニマリスト」と呼ばれた研究者たちによる、最新のものまでかなり幅があります。日本の聖書学会もイスラエルのヘブライ大学も、その点、かなり保守的だと言えますが、最近山我哲雄先生が翻訳されたシッパーというドイツの研究者の『古代イスラエル史』(2018年)の「あとがき」によれば、山我先生が執筆された『聖書時代史-旧約編』は日本の神学校・神学部でよく用いられて、私も教科書にさせていただきましたが、もう古くなったので、ドイツ辺りの研究を真面目に追わなくてはならないと言っておられます。私が丁度留学中に「ミニマリズム論争」があって、私も文献を集めていたのですけれども、聖書による歴史的証言を最小限に捉える向きから「ミニマリズム」と言われました。もちろんそれは研究者本人がそういったのではなくて論敵によって付けられた呼び名です。このシッパーの書物の帯にもこうあります。「統一王国の分裂はなかった?」「一神教とは無縁のユダヤ教があった?」「エルサレムよりも立派な神殿があった?」「バビロン捕囚の民はほとんど帰還しなかった?」。こうした文言は出版社が面白がって付けるものですれけれど-この本は教文館のものですね-、ヘブライ大学に留学中もそういうことがありました。1999年に「ハアレツ」という新聞に-「ハアレツ」はイスラエルの朝日新聞のような基幹紙ですが-「エリコの城壁を解体する」という見出しでテルアビブ大学のゼエヴ・ヘルツォグ教授の投稿がセンセーショナルに報道されて、聖書学科の教授たちが暗い顔をして教室に入って来たことがありました。その記事によれば「ヨシュアもダビデも実在しなかった」ことになります。イスラエル国でもユダヤ教の牙城であるヘブライ大学と、都会にある最高学府であるテルアビブ大学では学風が違います。ミニマリストの線では、他にも同大学のフィンケルシュタインによる『発掘された聖書』が日本でも翻訳されています。
聖書の歴史についての捉え方もファンダメンタリストの特徴は原典に忠実なことではなく、その解釈の恣意性にあると喝破したのは、改革派教会でもよく読まれたジェームズ・バーによる『ファンダメンタリズム』です。今やファンダメンタリズムの研究は一つの分野に成長して来ていますが、バー教授の本は古典とされています。たとえば、同教授が1987年にオックスフォード大学で行った「聖書の年代学:伝説か科学か?」という講演の中で、聖書の年代というのはおよそその通りに受け取られなければならないという議論をしています。アブラハムがハランからカナンに移住した時の年齢は75歳だったと創世記12章4節にありますが、それはその通りの年齢と受け取る必要がある。また申命記34章7節にはモーセは120歳まで生きたとされます。それらと同じように創世記5章にあるメトシェラの年齢も、27節にある通り969歳としなければならない。聖書の解釈としては1年をひと月とするべきとか、昔の暦が違うから計算が異なるはずなどの説明がありますが、バー教授はこういいます。
「私たちは文字通りの意図と歴史的・事実的な真実を区別する必要があります。これらの数字は、私たちにとって歴史的・科学的・事実的には真実ではありませんが、文字通りの意図をもっていました。彼らにとっての1年は現在の私たちにとっての1年と同じ期間でした。これらの数字は実際の事実と一致していません。つまり、それらの一部は伝説的または神話的な性格をもっていますが、聖書の著者たちは圧倒的な確率でそれらが実際の事実と一致していると考えていました。」
創世記5章の読み方としては、古代オリエントから発掘されている王命表が参考になります。それらは古代の王の統治期間を表示しながら、洪水前と洪水後で時代を区切る性格を持つことで互いに関連していますし、アダムからノアまでを辿る5章とも共通します。5章ではメトシェラが最長寿で969歳ですが、シュメールの王名表では最も長い統治期間の王は43200年です。つまり、洪水前の王は『ギルガメシュ叙事詩』に出てくるウルクの王ギルガメシュのような半神半人です。それに比べれば969年などは極端に短いとわかります。聖書は、人間は神に創られた被造物に過ぎないのであって神々ではないことを明確に告げています。ただ、古い時代の歴史観から、昔の人は長生きだったことを表明しているのに過ぎません。
次に文学としての聖書の取り扱いに触れておきます。おそらく、ファンダメンタリズム(聖書原理主義)の中心となった米国では、これが苦手だったのだろうと推測します。つまり、聖書を文学とみなすことが出来ず、もっぱら科学的な真実のみがそこで追求されてしまったことです。それで聖書が事実であることを伝えようと地面を掘り起こす聖書考古学などがもてはやされるようになるわけです。ヨーロッパでは批評学が起こって来る初めから、聖書の文献的な性質に着目して、その文学性にも考慮が払われてきました。文献学は、原典を写す写本を比較することから始めます。聖書ばかりではなく、シェイクスピアですとかの古典を扱うための専門的な技術です。聖書では「本文学」という部門がそれを担当しますが、本文学は聖書研究の基礎であって、それゆえに「下層批評」などと言われたりもします。これをちゃんと学べば「聖書原理主義」の無誤性みたいな聖書偶像崇拝に陥ることもありません。この辺りも榊原康夫先生が昔から信徒向けに紹介してくれています(『旧約聖書の写本と翻訳』)。ここは後で論じようと思っているウェストミンスター信仰告白第1章の聖書論とも関わりますが、私たちはそれによって原典主義を取ります。八節にこうあります。
八(昔の神の民の国語であった)ヘブル語の旧約聖者と、(しるされた時、最も一般的に諸国民に知られていた)ギリシア語の新約聖書とは、神によって直接霊感され、神の独特な配慮と摂理によって、あらゆる時代に純粋に保たれたので、確実である。それで、すべての宗教論争において、教会は最終的にはこれらに訴えるべきである。
ところが、新約聖書の写本は原典が記されてまもなく作成されたものが幾つかあるものの、ヘブライ語聖書はとてつもなく長い期間をかけて正典が書き写されましたので、一言でいうなら、原典はないわけです。私たちが手にしているのは「ビブリア・ヘブライカ・シュツットガルテンシア」という校訂本ですが、これが参照している写本は中世に成立したレニングラード・コーデックスです。ですから、原典に当たる場合には、これは新約聖書も同じですけれども、本文批評を施した上での本文で議論しなければならないことになります。本文レベルで言うならば、聖書はそこに誤りがあるのですね。今はコピー機の時代ですからなくなりましたが、すべて手作業で写筆を続けて来た時代には、それゆえの書記の間違いが本文に入り込むのを避けることはできません。そうしたことを十分弁えた上でウ告白の原典主義が表明されているのですから、それを弁えないファンダメンタルな教会がこれを利用しようとするのには無理があります。米国の聖書原理主義はリバイバル運動を伴って植民地主義的に全世界に影響を与えていますが、結局それはアメリカ社会の反知性主義・ポリュリズムとなって受け継がれる国民性なのかもしれません。森本あんり先生などがよく紹介してくれている通りです。
さて、先に引用した40周年宣言の言葉づかいに「文学様式に考慮を払う」とありました。これについては女子パウロ会からかつて出されましたローフィンクによる『今こそ聖書がわかった』が一番わかりやすい手引きかと思います。「文学様式」とは「文学類型」に付随する文学的特徴でして、「類型」とはその文書が何であるかを特徴づける性質のことです。たとえば文書の書き出しに「拝啓」とか「お変わりありませんか」とあれば、これは手紙だなと日本人なら誰でもわかります。「古池や蛙飛び込む水の音」は五・七・五のリズムで俳句とわかります。「犬も歩けば棒に当たる」はことわざですね。どんな社会にも固有の文学類型があって、それを把握しておくことが言葉の意味を理解するときの鍵となります。「犬も歩けば」のことわざを科学頭で読み解こうとして、この犬は何犬だとか、この棒はどのくらいの長さかと考えてもちっとも理解にはつながりません。また、「昔ばなし」にも特徴がありますね。桃は川の上流から「どんぶらこ、どんぶらこ」と流れてくることは昔は誰でも知っていました。それを本当かどうか確かめようとは子どもですら思わなかったはずです。また、桃を受け止るのは、ある村のおじいさんとおばあさんです。名前はどうでもよいでしょう。うさぎだってかめだってたぬきだって人のことばを話します。それで「嘘だ」とさわいだりもしません。それは皆が「類型」を共有しているからです。また、そこに含まれる「様式」も分かっているからです。
19世紀の終りにヘルマン・グンケルが現れて、彼はもともとグリム童話などの民話研究をしていた学者ですが、この類型に着目して聖書を読み始めて以来、「文学類型」と「文学様式」に考慮を払うことは聖書研究の常識となりました。こうして聖書研究の中心はずっとドイツでしたけれども、マルティン・ブーバーやその信仰と学問を引き継ぐアブラハム・ヘッシェルなどの影響もあって、聖書の文学研究ではタルムードやミドラシュの伝統をもったユダヤ教の観点も取り入れることができるようになって、英語圏でも聖書の文学的研究は盛んになりました。
「神話」もまた文学類型に当たります。古代オリエント世界で立派に成立する文学類型で、日本はこの分野の研究がとても進んでいます。三笠宮崇仁さんの貢献もあってのことでしょう。神学生時代に榊原康夫先生が筑摩世界文学大系第1巻にある『古代オリエント集』は必読だから読んでおくようにと教えられましたが、残念ながらその時代も版元切れになっていて、みなが競争して古本屋で探すふうでした。そうしたものを手に取ってみれば豊富な「神話」に触れることができます。「神話」とは作り話ではなくて、その時代の科学や価値観を教える手段です。ですから、聖書が語る「神話」もあるわけで、それは神が人間に語り掛けるために選んだ類型だと言うことができます。当時の科学や学問の反映ですから、今日の科学的な知識で正誤を判別することはできません。ファンダメンタリストの間違いは結局自分が聖書を裁いているのであって、ウ告白が述べるように「聖書を判断する基準は聖書自身である」ことを承知してはいません。
もう一つ類型に関して例を挙げておくと『ヨナ書』が良い例かと思います。研修所で私が行ってきた『旧約聖書講読』で取り上げましたから、そこに出席された皆さんはもうご承知のはずです。聖書の正典的な配列の中では『12小預言書』に含まれていますが、これは預言者を教育するための「短編物語」もしくは「たとえ話」です。ヨナという預言者が実在の人物であったことは列王記下14章25節にある通りですが、ヨナがニネベに派遣された話は事実ではないでしょう。ヨナ書という書物は4つの場面に区切られて、それぞれが重要な役割を果しながら、最後にはお前のような民族主義者が神の御旨を悟ることができるのか、と預言者に悔い改めを迫ります。これはまた別の機会にお話ししますが、申命記のような民族主義的な選びの教理に対して、神の創造をたたえる立場から異教徒の悔い改めを受け入れる普遍主義的な神の救いを描き出すところが、この書物の意義です。だから、ヨナが呑み込まれたのはどんな魚だったかとか、その頃のニネベの王は誰であったかなどと探っても本文の意図には合わないことになります。
もう一つこの講演で触れておきたいのは「正典」についてです。80周年宣言の素案が示した「何も付け加えない」とは聖書にある聖典定式ですけれども、確かにウ告白と40周年宣言もそれを踏襲しているように見えます。しかし、そこが40周年宣言を起草した先生方の力の入れ処であって、どの先生方も詳しい説明をしています。ウ告白では第2節で正典に含まれる旧約・新約の目録が並んでいて、3節にはこうあります。
普通に経外典と呼ばれる書は、神の霊感によるものではないから、聖書の正経典の一部ではない。従って神の教会内では何の権威もなく、ほかの人間的な文書と違ったどのような仕方ででも是認されたり使用されてはならない。
とても否定的に外典の取り扱いがなされているように思われますが、これは第二正典を保有するカトリック教会の立場と明確に区別するための文言で、ルターによる翻訳聖書以来、ルター訳聖書に始まるプロテスタント教会と改革派諸信条に現れた外典に対する態度は寛容なものでした。つまり、「ほかの人間的な文書とは違ったどのような仕方ででも是認されたり使用されてはならない」ということは、他の人間的な文書と同じように学んで益がある、ことを意味するとします。40周年宣言はそこに「益」という項目を設けてこう言っています。
しかし、旧約外典は、ほかの人間的な文書と同様の使用には耐えうるので、たとえば、旧約と新約との中間時代の空白を埋める歴史的資料としては、益がある。
これの具体的な説明は鈴木牧雄先生が講演の中で「黙示文学」の類型について話しながら「ヨハネの黙示録」の読み解き方を指南してくれていますので、そちらを参照してください。最近出版された安田吉三郎先生の著作集第五巻にも聖書についての論文集が含まれていますので、そちらも参考になります。今日の聖書研究には外典に関する知識も必須ですから「聖書ではないから学ばない」では済みません。改革派教会の歴史から学ぶことができるのは、かつてはプロテスタント教会でも外典がよく読まれたことです。ルター訳の聖書にも「アポクリファ」としてこれが別扱いで含まれていましたし、今日の新共同訳・協会共同訳がかたちにしている「続編」の扱いも、カトリック教会との妥協でこれが成立したのではなくて、宗教改革時の聖書のかたちを再現しようとする努力がこの「続編付き」になったわけです。確かに「続編」は礼拝には必要ないでしょうが、個人で所有するなら「続編付き」がお勧めです。ではなぜ、プロテスタント教会で外典が知られなくなってしまったかと言えば、国際聖書教会が英訳聖書を発行する際に、外典を排除した翻訳聖書を大量に世界にばら撒いたために、それがスタンダードになってしまったという経緯があります。それにウ告白の文言などが作用して、外典嫌い・外典を知らないプロテスタント教会が標準となってしまった。これもまたリバイバリズムと相まって広がった反知性主義・ポピュリズムの一端でしょう。
外典は教会の信仰的・文学的遺産であるといってもよいでしょう。聖書ではないのでそこから教義を紡ぎ出すことはありませんけれども、正典聖書を理解するための手がかりとして重要です。それで研修所でも講義がなされて榊原康夫先生による『旧約続編を読む』という書物などもあるわけです。それを踏襲するつもりで私も夜間聖書講座でそれを取り上げましたし、「まじわり」にも続編全巻の解説が掲載される予定です。
私もあと十年で引退することを考えますと、次の世代への継承を考えなくてはなりません。しかしそこでどのような聖書信仰を受け渡すことができるのか心もとありません。40周年宣言の頃以上に、改革派教会は福音派に傾いてしまったように思えます。先日、大宮教会の吉村長老から日本長老教会が出したN.T.ライトの研究に対する評価と、その文書に対する吉田隆先生の評価を見せていただきました。N.T.ライトという先生は英国の研究者ですが、英語圏のプロテスタント教会で最も仕事をしている人の一人でしょう。日本長老教会はわざわざ大会の委員会を作ってその著作について検討したようですが、大変よく勉強したのは分かりますが、それくらいの努力を改革派もしたらどうかと思いますけれども、「外典からの引用」が多いので信用できないという結論には、先に述べた通り同意できません。ウ告白を歴史的に理解しようとせず、原理主義的にその信条に固執することで信仰の継承など果たすことはできないはずです。パウロを理解するにも外典の知識はどうしても必要です。キリスト教会には反ユダヤ思想が沁みついていますから、ユダヤ文献に疎い欠点がありました。それが近年、プロテスタント教会でもヘブライ語やユダヤの伝統に触れる文献が読まれるようになって、新約聖書の理解にも変化がみられるようになりました。その成果をN.T.ライト先生が見せてくれているのですから、謙虚に学べばよろしいでしょう。それで研修所での昨年「パウロ研究の新しい動向」という企画を立てて皆さんに紹介したのでした。
80周年に何を学んで次の世代に伝えるかを考える過程で、私が構想していたのはキリスト論と聖書論です。もちろん改革派教会独自の信条形成を考える路線でのことです。矢内昭二先生が「次はキリスト論だ」と言っておられたのを聞いたことがありますが、その真意を訪ねたことはありませんでした。しかし、2016年に翻訳がなされた教皇庁聖書委員会による『聖書とキリスト論』を読んだときに、これかと思いました。ラテン語の本文が発表されたのは1984年のことですが、その後に発表される『教会における聖書の解釈』に結実する重要な論考が『聖書とキリスト論』には含まれています。まず、第一部では「イエス・キリストへのアプローチ、現代におけるその総覧」として現代における史的イエスの研究方法を概観しながら、その限界とキリスト教会にとっての評価をまとめています。日本でも世間はイエス・キリストに全く関心がないわけではなかったことが出版事情などから分かります。日本で一番人気の高い新約学の作家は田川健三氏ですね。そういう社会に対して教会はどう応えるかを考えるための備えをカトリック教会はちゃんとしながら教会の信仰を宣言しています。後半の第二部では「キリストについての聖書の総合的証言」と題して、旧約聖書に認められた神の救いの契約がイエス・キリストによって成就した、その証言としての聖書の権威が改めて論じられています。これは40周年宣言を起草した教師たちが焦点としてきた聖書理解と同じです。最初に紹介した鈴木牧雄先生の講演のタイトルは「キリストとみことば」でした。この修養会では同じタイトルの開会礼拝説教の中で、岩永隆至先生がこう語っておられます。
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。」(ヨハネによる福音書5章39-40節)ここに見られる聖書のキリスト証言性は、聖書の霊感に直接言及した第二テモテ3章16節の前の15節の聖句においても明らかです。ウェストミンスター信仰告白第1章「聖書について」においては、隠された形でしか示されていなかった点を、宣言の方では明瞭な文章で表現しましたが、この主張は聖書とは何かをしるために、非常に重要な教えです。(97-98頁)
カトリック教会ではイエス・キリストの受肉と、人間の言葉に受肉した神の言葉である聖書の間には類比の関係があると論じます。これは純粋に神学的な主題ですから、われわれも検討の余地があります。AIの助けを借りますと、これを論じている改革派の神学者はヘルマン・バフィンク、ジョン・マーレイ、ケヴィン・ヴァンフーザー、カール・バルトです。いずれこの主題でどこかでまとめて学ぶことができればと考えています。
ウェストミンスター信条の新しい翻訳が完了したことに合わせて「リーディング・プロジェクト」が中会毎に実施されていますが、私たちが教会憲法として採用している信条の扱い方についても注意が必要と私は考えています。あまりにこれを教条主義的に捉えすぎて、ここから「右にも左にも逸れない」式の拘束力ばかりを気にするようにしない方がよいと考えています。以前、研修所ニュースで長田詠喜先生がウ信条を一本の木にたとえていましたが、私もそれには概ね同意します。教会役員は信条に誓約して任職されますから、もちろんそれに拘束されるのですけれども、それが教会の聖書解釈を重んじ、頭なるキリストに対する忠誠を表すものであることは承知していますが、私は信条は土台だと考えます。それは強固な教義を保有するカトリック教会の教義理解と同じで、キリストは神の言葉をもって新しい時代を切り開いて行かれるので、教会は堅実な信条を土台として継承しながらもイエスと共に飛躍せねばならないからです。聖書と同じように信条にも歴史性がありますから、それを踏まえた上での適用が必要です。それは新しい翻訳を手掛けた袴田康裕先生が他の村川長老や水垣渉長老、松谷好明先生らといつも話しておられたことです。第78回定期大会で、ウ告白25章6節の削除が決議されましたが、そこはローマ教皇を「滅びの子」と断罪する項目でした。ウ告白もカトリック教会に対抗する時期の宗教改革文書ですから、そういう表現も理解できますが、エキュメニズムが進んでいる今日にあっては、そういう過激な文言はむしろ誹謗中傷にもなり得ますから相応しくないのは当然です。そこで削除する決定をしたわけです。つまり、教会憲法ではあっても必要とあれば改訂が必要になるわけで、それで女性教師・長老も受け入れることができるようになりました。そういう歴史感覚・バランスが信条を扱う場合も欠かせません。次の世代は大丈夫かとちょっと心配です。近年CRCは性的マイノリティの扱いで、聖書や信条の原理的な主張を押し通して、反対派を追い出す決定をしましたが、そこで出された弁明もすでに論破されている、不十分で手痛いものでした。それと同じ道を辿るのではないかとの心配はあります。
かつて神戸海改革派神学校ではCRCの聖書観はリベラルだから気を付けるように、などと教授たちが話していましたが、スパーリンク宣教師の発言もあって、原理主義に先祖がえりを起こしたのではないかと疑いましたが、先日甲信地区で講師にお招きした吉岡契典先生によるとカルヴィン神学校が原理主義化したわけではなくて、CRCの教職の中に排外主義的な強固なグループがいるとのことでした。米国の白人文化が権威を失ってきてリフォームドのような教会の権威主義が地に落ちたところで、それを保とうと古い文化に固執する教会の権威筋がいよいよカルト化してきたようにも感じられます。今、キリスト教会の最先端で教会改革を実施しているのはカトリック教会でしょう。先日、私の務める長野まきば教会で行っている映画会で、ヴィム・ヴェンダースによるドキュメンタリー映画『ローマ法王フランシスコ』を観ました。アッシジのフランシスコの名を踏襲した法王は、実際にその路線を突き進んで、世界の貧しくされた人々のもとにイエスのように赴き、神の国のありかを証して回りました。合わせて教会内の腐敗にも手を付けてこれに厳しい改革を施したのでした。そこには確かにイエスが共にいることの証が教会にありました。それと歩みを併せているのが英国聖公会ではないかと思います。2011年にワシントン教区の主教に任命されたマリアン・バッディ主教は、ドナルド・トランプ大統領の2度目の就任式で説教を行い、社会的に排除された人々に対する共感を大統領とそれを支持するグループに呼びかけました。そうした動きの中で新しい法王が選出されて、米国出身のレオ14世が誕生したわけです。改革派教会の近辺では、スイス福音主義改革派教会の神学者たちが有志による声明「民主的文化を守るための呼びかけ」を発表して、イエス・キリストがおられる場所を鮮明にしつつ、今日のキリスト教会が声を挙げる仕方を示してくれました。
ウェストミンスター信条に堅く立つのはその通りですが、こうしてキリストが教会を通して働いておられるのを無視して、自分の内側だけを見つめるのであれば、神の栄光が去って行くのを目撃したエゼキエルが警告したエルサレムの姿と同じになってしまいます。フランシスコ法王はアメリカ合衆国の国会で「武器を捨てよ」と大胆に宣言しながら、「富を追求する教会にはイエスはおられない」と大胆に断言されました。
改革派神学研修所が日本キリスト改革派教会と取り組まねばならない神学的・実践的課題の一つにフェミニスト神学の構築があげられます。井上有子姉にならって、研修所はこれまで何回かの講座を取り上げて来ました。そこには自ら為さねばならない教会の自己批判と大胆な悔い改めの表明が求められます。男性中心主義の、父権主義を保ったままの聖書解釈で、キリスト教会はあまりにも長い時間を過ごしてきました。女性教職・女性長老の問題を大会で議論している中で、私はそこに倫理的な問題があると発言したのですが、「さっぱりわからない」とある長老からの発言がありました。つまり、構造的な罪にどっかりと腰を下ろしている人々には、その罪がまったく見えないわけです。聖書の中でイエスが貧しくされた罪びとたちと交わりをもっている傍らで、それを不快に思い、嘲笑った律法主義者たちと同じ態度です。ある大会で、女性教職の問題を論じている最中に、私も尊敬するある長老が「では、聖書の解釈が間違っていたと男性は女性に謝罪するべきなのか」と憤然として語っていましたが、当時はそこまでできるかと私も疑問に思っていましたが、今では謝罪すべきであったと考えています。それだけ教会が保持する父権主義は揺るがないものとなっています。フェミニスト神学はこういう態度と真摯に向き合う方法を私たちに教えてくれます。カトリック教会から学ぶことは、南米の教会から始まった解放の神学が、初めは教会の権威を失墜させるかと思われる過激な思想に思われたとしても、結果的にはそれを吸収・咀嚼して、教会のあるべき場所を確保することに今日成功していることです。イギリス・オランダそしてアメリカの白人男性社会はこうした「悔い改め」が苦手なように思われます。そういう植民地主義を脱ぎ捨てて、肌の色や文化の違う諸民族とどう新しい関係を保てるかがリフォームドの伝統に問われています。改革派神学に基づくフェミニスト神学を構築する努力は欧米では数十年来進められています。厳密にはその問題と性的マイノリティの問題とは別ですが、そうした動きに背を向けて学ぼうとしないまま、規則に従わないならば出ていけ、のような態度を取るのはキリストとは関係のない自分のプライドや好みの話に過ぎないように思われます。私たちは謙虚に聖書から学んで、今日の聖書解釈によって、教会の進むべき道を示していただく必要があります。聖霊はそこにきっと働いておられることでしょう。
≪参考文献≫
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榊原康夫『旧約聖書の写本と翻訳』、いのちのことば社、1972年
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安田吉三郎「聖書翻訳と聖書解釈」、『安田吉三郎著作集 第5巻 神学論文Ⅱ』いのちのことば社、2025年、9-115頁。
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山我哲雄・佐藤研『旧約新約・聖書時代史』(改訂版)、教文館、1997年。
ジョン・ブライト『イスラエル史』新屋徳治訳、聖文社、1968年。(邦訳は第2版より)
ルドルフ・プロット、ゲルハルト・ローフィンク『今こそ聖書がわかった:文学書としての聖書』女子パウロ会、1977年。
ジェームズ・バー『ファンダメンタリズム-その聖書解釈と教理』喜田川信・柳生望訳、ヨルダン社、1982年。
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森本あんり『反知性主義-アメリカが生んだ「熱病」の正体』新潮選書、2015年。
杉勇、三笠宮孝仁編『古代オリエント集』筑摩世界文学大系(1)、1978年。

