イスラエルとパレスチナから考える平和と人権

現代におけるイスラエル国

「イスラエル」という国は、報道を通じて一般にもよく知られるようになりましたが、聖書の舞台である地中海東岸の小さな地域に位置していますので、キリスト教会でも身近に感じられ、聖地旅行も盛んです。現在の「イスラエル国」は第二次世界大戦後の1948年に建国されました。イスラエル政府は自国の首都をエルサレムと定めていますが、国際社会ではこの地位をめぐる立場が分かれており、多くの国は依然として大使館をテルアビブに置いています(日本も同様)。ただしユダヤ人の伝統においてエルサレムが宗教的中心であることは今日まで変わりません。

人口は年によって多少の変動がありますが、2024〜2025年時点の国際機関の推計では約950万〜990万人とされています。建国以来の海外からのユダヤ人移民(アリヤ)によって人口が増加してきたことは確かです。

イスラエル周辺はアラブ諸国に囲まれています。南にはエジプト、北にはレバノンやシリア、東にはヨルダンがあります。イスラエルは欧米からの移民が多いため生活文化は西欧的な性格も強く、対して隣国のアラブ諸国はイスラム文化圏であるため、宗教や生活様式には大きな違いがあります。また、中東にユダヤ人国家を建設したことで、土地をめぐる争いがパレスチナ人・アラブ諸国との間で現在に至るまで続いており、これが「中東問題」と呼ばれているものです。建国の背景にはヨーロッパでのユダヤ人迫害の歴史と、ホロコーストという未曾有の悲劇が強く影響しており、多くのユダヤ人が「安全に暮らせる国家」を求めたことが、近代シオニズムの原動力となりました。その願いが、聖書と結びつき深いパレスチナの土地に向けられ、戦後のイスラエル建国につながったわけです。

しかし、ここには当然ながら別の視点があります。もともと世代を超えてその土地に暮らしてきたパレスチナのアラブ人にとって、突然「これは私たちの祖先の土地であるから返せ」と言われたように感じられました。ユダヤ人はホロコースト後、国際社会から共感と支援を得ることに成功し、軍事的にも優位にありました。そのため、当時そこに暮らしていたパレスチナ人の意思が十分に反映されないまま国家建設が進んだという批判が今日まで続いています。たとえば、ここ野沢の土地に突然「私たちの祖先は縄文人であり、ここに住んでいたのだから出て行け」と言う人々が現れたらどうでしょう。現代には現代の法秩序があり、現在の住民には正当な権利があります。聖書が二千年以上前に書かれたからといって、そのまま現代の領土権の根拠とすることには無理があります。そのため中東では「歴史」「宗教」「国際法」「難民問題」が複雑に絡まり、紛争が絶えず、さらに欧米諸国の政治的関与が問題をいっそう難しくしています。

さて、2023年10月7日に、パレスチナ・ガザ地区を実効支配する組織ハマスと関連武装勢力がイスラエル領内に大規模な越境攻撃を行いました。複数の町が襲撃され、民間人を含む多くのイスラエル人が殺害され、約250名がガザへ連行されるという深刻な事態となりました。この攻撃はイスラエル社会に大きな衝撃を与え、その後ただちにイスラエル軍の大規模な反撃が開始されました。

その後のガザ地区での戦闘によるパレスチナ側の死者数は、機関によって大きく幅がありますが、2024〜2025年にかけて国連機関や複数の国際メディアは数万人規模の犠牲者を報告しています。公式集計と学術的推計の間に差異があるなど、正確な総数の確定は難しい状況ですが、いずれにせよ非常に深刻な人道危機であることは確かです。ガザの都市は広範に破壊され、学校・病院・インフラも甚大な被害を受けています。

2024〜2025年を通じて、停戦交渉と戦闘再燃が繰り返されました。エジプト・カタール・アメリカなどが停戦仲介に動き、一定の人質解放や一時的停戦が成立することもありましたが、紛争の根本的解決には至っていません。ガザでは医療・食料・水・住居が不足し、国連は継続的に深刻な人道上の懸念を表明しています。また、国際刑事裁判所(ICC)はハマス指導者とイスラエル政府の一部指導者の双方に対して国際法違反の疑いを調査する動きを見せるなど、国際法上の責任も大きな論点となっています。

イスラエル側は軍事行動を「テロ組織への対処」「自国防衛」「人質救出」と説明する一方、パレスチナ側の民間人犠牲の多さから「戦闘の比例性」や「市民保護義務」の観点で国際社会から強い批判も受けています。

これらの問題は単純化できず、戦争・占領・難民化・歴史認識のすべてが重層的に絡むため、中東問題は依然として解決困難な状況にあります。

ユダヤ教とは何か

聖書には「イスラエル」という民の歴史が書かれています。神がその民に土地を与えたと語られているため、では現代のユダヤ人やユダヤ教とはどうつながるのか、という疑問が出てきます。そこで、まずユダヤ教の基本について簡単に触れておきます。

ユダヤ教は、トーラー(旧約聖書)と呼ばれる書物を大切にする宗教ですが、実際の生活を形づくっているのは、古代の学者たちが書き残した教えの体系です。そこには「こう生きるべきだ」という細かな決まりごとが多く含まれています。

たとえば、ユダヤ人の男の子は生まれて8日目に「割礼」と呼ばれる儀式を受けます。これは、神との約束のしるしとされており、現在でも欠かさず行われています。また、金曜日の日没から土曜日の日没までは「安息日」と呼ばれ、仕事を休んで神を礼拝する日とされています。食事の準備なども仕事とみなされるため、前日までにすませておくのが習わしです。

現代のユダヤ教は、紀元70年にローマ軍によってエルサレムの神殿が壊されたことをきっかけに形づくられました。それ以前のイスラエルの宗教は、大きな神殿でのいけにえや祈りが中心でしたが、その中心が失われたため、聖書を読み、教えを守りながら暮らすという新しいあり方が発展していきました。現在のユダヤ教の姿は、その流れの中にあります。

同じ頃、キリスト教も誕生しました。キリスト教が日曜日に礼拝を行うようになったのは、イエスが日曜日に復活したと信じられているためです。ただ、多くのキリスト者にとって、日曜日は単に休みの日ではなく、「神の前に静まり、感謝する日」として大切にされてきました。そのため、ユダヤ教の安息日の精神が、形を変えて日曜日に受け継がれていると考える人もいます。

こうした理由から、「ユダヤ教がキリスト教の母体だ」と言われることもあります。しかし実際には、旧約聖書の時代にあったイスラエルの宗教から、ユダヤ教とキリスト教という二つの道が、それぞれ別の方向に発展していった、と考える方が正確です。現在のユダヤ教がそのままキリスト教のもとになったわけではありませんが、もともと同じ土台を持つ二つの伝統が、違った形で今に続いていると言えるでしょう。

パレスチナとは何か

「パレスチナ」という名称は、もともと古代にこの地域に住んでいた「ペリシテ人」という人々の名前に由来すると考えられています。彼らは紀元前12世紀ごろ、地中海の東岸、現在のガザ周辺に住みつき、小さな都市国家を作りました。この人々を指す名前が、後にギリシア語で「パレスタイネ」と呼ばれるようになり、だんだんと広い地域の呼び名として使われるようになります。

この名称がはっきりと歴史に定着したのは、ローマ帝国の時代です。紀元135年、ローマはユダヤ人の大反乱をしずめた後、この地の名前を「ユダヤ」から「シリア・パレスティナ」と呼びかえる政策をとりました。これは、ユダヤ人の結束を弱めるためだったとも言われています。この時から「パレスチナ」という言葉は、行政区の正式な地名として使われ、さまざまな民族が住む広い地域を指す呼び名として固定されていきました。

中世に入ると、この地域はローマ帝国の後継であるビザンツ帝国の統治下に置かれます。エルサレムをはじめ、キリスト教にとって重要な聖地が多くあるため、多くの巡礼者が訪れる場所でもありました。7世紀にはイスラム勢力が支配するようになり、その後は長いあいだイスラム王朝が続きます。11世紀には十字軍が遠征してきて、この地をめぐる争いが何度も起きましたが、最終的にはイスラム側の支配に戻りました。

16世紀から第一次世界大戦の終わりまでは、オスマン帝国がこの地域を治めました。その間、「パレスチナ」という言い方は、地図や旅の記録などで使われる「地域の呼び名」として続きました。特定の民族や国を表すというより、地理的な名称として広い意味で知られていました。

大きな転換期が第一次世界大戦後に訪れます。オスマン帝国が敗れると、旧領土の一部であるこの地域はイギリスの統治下に入り、「パレスチナ英国委任統治領」と呼ばれるようになりました。この頃から、アラブ系住民は自分たちの民族的な呼び名として「パレスチナ人」という言葉を使うようになり始めます。一方で、ヨーロッパからユダヤ人移民が数多く流入し、ユダヤ人国家を建てようとする動きも強まりました。

第二次世界大戦後、国際社会はユダヤ人国家とアラブ人国家を分けて作る案を提示します。しかし1948年にイスラエルが建国されると戦争が起こり、多くのアラブ系住民が住まいを追われました。それ以来、「パレスチナ」という言葉は、歴史的な地域名であると同時に、家や土地を失った人々、そしてその子孫が共有する民族名として強い意味を持つようになりました。

今日、「パレスチナ」とは、「古代から使われてきた広い地域の名前」「そこに長く暮らしてきたアラブ系住民の民族的名前」として、二つの意味を持ち続けています。この言葉の歴史には、多くの民族がこの土地で生きてきた長い歩みと、現代まで続く複雑な政治の背景が刻まれています。テルアビブ大学で教鞭をとったシュロモー・サンドによれば、パレスチナ人の血統を遡れば、もともとパレスチナに残ったユダヤ人に辿り着くとさえ言われます。それを、シオニズムを掲げる新しいユダヤ人が追い出したことになります。

修正シオニズムとナクバ、そして現代イスラエル政治への影響

ここから近年の研究者である早尾貴紀氏やヤコブ・M・ラブキン氏の「民族浄化」の論説も紹介しながら、パレスチナ問題の歴史的背景と現代イスラエル政治における修正シオニズムの影響についてお話しします。

  1. シオニズムとは

ヤコブ・ラブキンによれば、世界に離散してそれぞれの地域色を持ちながら伝統を築いていた数百万人のユダヤ人はパレスチナの土地に対して宗教的な憧れは持っていたものの、一か所に集まってユダヤ人国家を建設するなどとは考えてもみなかったと言います。そこにキリスト教から学んだ「シオニズム」という思想が入り込んで、さらにロシアにおけるポグロムや第二次大戦中のナチスによる強制収容所のような反ユダヤ主義に晒されて、いきおい「シオンへの帰還」という夢が現実化して「ユダヤ人国家建設」が目指されるようになりました。1948年の建国に先立って、ユダヤ人によるパレスチナの土地取得と帰還が19世紀末から始まりますが、初代の大統領にもなったダヴィド・ベン・グリオンは社会主義的・労働者運動の性格の強い「労働シオニズム」によって国家建設を進めました。キブツやモシャブと呼ばれる実験的な共同体に憧れてイスラエルを訪問した若い日本人も多くありました。英国委任統治下で、段階的・実務的に自治機関を作り、国際社会との協調を図る路線は、アラブ住民との共存の可能性も模索され、その方向性は後の「労働党」に長く引き継がれることになりました。

しかし、1920年代に入るとゼエヴ・ジャボティンスキーが提唱する新しいシオニズム「修正シオニズム」が登場して建国の方向性が大きく変化します。「修正シオニズム」は従来の労働シオニズムに対する「修正」という意味で名付けられました。特徴は三つあります。

ユダヤ国家の領土最大化

歴史的にユダヤ人が住んでいた「エレツ・イスラエル」と呼ばれる地域、現在のイスラエルとヨルダン川西岸、ガザを含む全域に国家を作るべきと考えました。

軍事力の重視

「鉄の壁」の理論により、アラブ側が国家承認するまでは、強力な軍事力で安全を確保すべきだとしました。

妥協に慎重・否定的

領土譲歩よりも強硬策を優先し、交渉よりも既成事実化を重視しました。

一言でまとめますと、労働シオニズムは社会主義と協調外交を軸に、段階的に国家を築く現実主義路線ですが、修正シオニズムは武力・抑止・領土要求を軸に、力で国家権利を確保する強硬なナショナリズム路線です。これをベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が立っている思想的な基盤であり、米国のトランプ政権もこれを支持しているわけです。

  • ナクバ(1948年)

ナチスによるユダヤ人絶滅計画は「ホロコースト」と呼ばれて、西欧を中心とする現代文化に「反ユダヤ主義」を払拭するための深い影響を与えましたが、ユダヤ人シオニストによるパレスチナ民族浄化計画は今日に至るまであまり知られていません。先に紹介した「修正シオニズム」とかジャボティンスキーという名前もこれまで日本語文献に現れる機会は稀でした。

シオニストにとって1948年はイスラエル建国の記念すべき時として記念されますが、それと合わせて起こった第一次中東戦争により、70万人以上のパレスチナ人が故郷を追われ、400以上の村が破壊された事件をパレスチナでは「ナクバ(大惨事)」として記憶しています。修正シオニズムが直接ナクバを計画したわけではありませんが、領土拡大・軍事優先・妥協困難の思想は、ナクバを可能にする背景となりました。イルグンやレヒという名の武装組織は村落制圧や住民退去を実行し、ナクバを拡大しました。特に「デイル・ヤシン事件」は象徴的です。

デイル・ヤシン事件

1948年4月9日、エルサレム西方のアラブ人村デイル・ヤシンがユダヤ武装組織イルグンとレヒによって襲撃され、女性や子どもを含む多くの民間人が殺害されました。犠牲者数は研究によって幅がありますが、おおむね100名前後とされています。この作戦は、当時主流派であったユダヤ組織ハガナーの直接の指揮下にはなく、後にハガナー指導部は「恥ずべき行為」として公に非難しました。

この事件は、国連分割決議後に続いていた内戦の中で起きたもので、エルサレムへの補給路をめぐる軍事的緊張が背景にありました。しかし、事件自体はパレスチナ側に強い恐怖を広げ、各地で住民が戦闘前に退避する動きを加速させ、結果として1948年の大規模な避難・追放(ナクバ)の重要な心理的要因となりました。近年の歴史研究では、事件が持つ象徴性と心理的影響の大きさが強調されています。

  • 現代イスラエル政治への影響

リクード党は1973年創設で、多くの創設メンバーは修正シオニズム出身です。政策への影響は次の通りです。

  • 領土拡大志向

ヨルダン川西岸への入植を推進。E1地区開発*はパレスチナ国家の領土連続性を阻害すると指摘されます。*E1(“East 1”)はヨルダン川西岸(ウェストバンク)にある、東エルサレム近辺の約 12km²(12平方キロ)の地域。イスラエル政府はこの地域に住宅、商業施設、インフラを整備し、マアレ・アドゥミムとエルサレムを地理的につなげる計画を持っている。

  • パレスチナ国家構想の阻止

国家樹立を否定し、難民の帰還権を拒否。妥協より既成事実化を重視する思想の反映。

  • 安全保障重視・軍事優先

ガザ地区や国境周辺での強硬姿勢は、修正シオニズムの「軍事力が外交・国家形成の基盤」という考え方の延長。

  • 政治文化への影響
    極右・宗教ナショナリスト勢力との協働や、ユダヤ人国家優先政策は、修正シオニズム思想が現代まで生き続けていることを示す。
  • 「民族浄化」の視点

早尾貴紀氏は、イスラエル国家建設以降の政策を 「民族浄化(エスニック・クレンジング)」の連続 として分析しています。

・入植地拡大や封鎖、軍事作戦は偶発的ではなく、特定民族の排除を意図する構造的政策である。

・修正シオニズムの領土拡大・軍事優先思想が、現代政策の正当化に使われている点を指摘。

・パレスチナ人の故郷喪失・難民化は、ナクバ以降の追放・破壊・封鎖の連続として理解される。

・宗教・思想が国家政策に影響し、倫理的批判を制限する構造を問題視。

・国際構造・歴史的責任も重視し、欧米列強や日本を含む国際社会の関与を分析。

早尾氏の分析を加えることで、単なる歴史説明に留まらず、現代政策の倫理的・国際的意味まで理解できます。まとめますと、

・修正シオニズムはナクバの思想的背景となり、現代イスラエル政治に深く影響している。

・リクード政権の入植拡大、パレスチナ国家構想阻止、安全保障重視、ユダヤ国家優先政策は、修正シオニズム思想を反映する。

過去の思想が現在の政治に影響し続けることを理解することは、紛争の現状や未来を考える上で非常に重要と考えます。

  • ヤコブ・ラブキンによるシオニズム批判

さらに、カナダのモントリオール大学で教鞭を取っている、ユダヤ教研究者であるヤコブ・ラブキン氏の視点も重要です。ラブキン氏は、シオニズムを宗教的伝統から逸脱した政治ナショナリズムとみなし、伝統的ユダヤ教では「離散の中で生きること」が本来の使命であると指摘します。彼によれば、イスラエル国家の建設や「ユダヤ国家」概念は宗教的根拠よりも世俗的ナショナリズムに基づくもので、国家形成過程でユダヤ教の倫理や伝統が犠牲にされてきた。また、シオニズムは民族国家としての性格を優先することで、パレスチナ人やアラブ系市民に対する制度的差別や土地支配を正当化する傾向があると批判します。ラブキン氏はさらに、シオニズムの拡張志向は西洋列強による植民地主義的支援とも結びつき、現在の対立や暴力の根源となっていると指摘しています。このように、ラブキン氏の分析は、宗教的伝統と現実政治の乖離を示しつつ、シオニズムの思想的・制度的問題を浮き彫りにします。

ただし、キリスト教会の皆さんはこのことを覚えておいてください。近代シオニズムの起源について少しお話ししますと、実はその思想はユダヤ教の内部から自然に生まれたわけではありません。それが生じたのは、17世紀以降のプロテスタント、特にピューリタンや改革派の終末論の影響によるものです。当時、ユダヤ教では、メシアが来る前に民族が自分たちの故郷に戻るという考えはほとんどありませんでした。しかし、プロテスタントの神学者たちは違いました。彼らは、キリストの再臨にはユダヤ人の聖地への帰還が必要だと考えたのです。そして、それを実現するためにキリスト教徒が協力すべきだと説きました。

例えば、トマス・ブライトマンやジョン・オウエンは、ユダヤ人の回復を神の計画の一部として語りました。イングランドの政治家、オリヴァー・クロムウェルは、追放されていたユダヤ人を受け入れる政策を実際に行いました。さらに、ヘンリー・フィンチは1621年に、ユダヤ人国家の再建が現実になると予言し、キリスト教徒に支援を呼びかけました。

こうした思想はオランダや北欧にも広がり、旧約聖書の預言を文字通り解釈して、ユダヤ民族の帰還を神の計画の一部とみなしました。18世紀以降は英国やアメリカにも影響を与え、19世紀には政治家や福音派の活動にもつながりました。

つまり、近代シオニズムの重要な命題――「ユダヤ民族の国家的回復」は、ユダヤ教内部から自然に生まれたのではなく、プロテスタントの終末論という思想的土壌の上に育まれたものだったのです。

1917年に「バルフォア宣言」という「パレスチナをユダヤ人の民族的郷土として支持する」声明が英国政府によって出されますが、この背景には福音主義的キリスト教シオニズムと、英国帝国主義と、ユダヤ人シオニズム外交の三重構造がありました。その声明の曖昧な文言は後のアラブ・ユダヤ紛争の根源となります。このバルフォア宣言を国際連盟が承認したことで、イスラエル建国は法的基盤を持つことになりました。ラブキンはこれを「キリスト教的復興思想が世俗シオニズムに政治的力を与えた例」と評価します。

  • アブラハム合意とガザ・リビエラ

「アブラハム合意」とは、2020年にアメリカの仲介で、イスラエルとUAE・バーレーン・モロッコ・スーダンといったアラブ諸国が国交正常化に踏み切った協定の総称です。従来、中東ではパレスチナ問題の解決が関係改善の前提とされてきましたが、この合意はその順序を覆し、パレスチナ問題を先送りしたまま経済協力や安全保障連携を進める枠組みを生み出しました。これにより、中東の外交地図は大きく書き換えられ、イスラエルと湾岸諸国の協力が表舞台に押し出されました。同時に、パレスチナ側からは、長年の紛争解決が周辺化されるという強い懸念も生じています。近年議論されるガザ再建や開発計画を理解する上でも、このアブラハム合意がつくり出した新しい地域秩序は、避けて通れない背景です。

これと関連して「ガザ・リビエラ構想」と呼ばれる地中海沿岸を観光・高級リゾート地に再開発する計画があります。この計画ではガザの住民を「自主的に」移転させることが前提になっていますから、これと現シオニズム国家イスラエルの目論見と合わせて考えると、アブラハム合意に集ったアラブ諸国とアメリカ・イスラエルとの間にはパレスチナ人を排除してガザをイスラエルの支配下で安定させれば莫大な利益を得ることができるとの経済的な目論見が見えてきます。この案では1000億ドルの投資が見込まれていると言います。ガザにはかつてリゾートや娯楽施設がありましたから、パレスチナがそれを運営する前提で開発されるのなら理解できますが、ガザを破壊しつくして再開発する現在の方針にパレスチナ人の存在は含まれていません。おそらく、ヨーロッパや日本でも、これに目を付けている商社はあることでしょう。世界でパレスチナ人を応援する市民団体が次々と立ち上がってはいるものの、ドイツや日本を含めて公式にイスラエル批判を表明する国は多くありません。人質を言い訳にして停戦の協定も守らずに戦争を続けているイスラエルと「ガザを中東のリヴィエラにする」と公言して憚らないトランプ大統領の横暴がパレスチナの人々を絶望の中に突き落としています。

おわりに

果たしてパレスチナは地上から拭い去られて消える運命にあるのでしょうか。それを傍観している世界は赦されるのでしょうか。イスラエル国は深く病んでいますが、良心をもった人々がいるのも事実です。イスラエル軍には昔から自殺者が少なくないのですけれども、というのも国を守るという自負心をもって誓いを立てて兵士になってみると、実際にやっているのはかつてナチスがユダヤ人に行ったような暴力を、今度はイスラエル人がパレスチナ人に対して行っているのを目の当たりにすることになるからです。ガザへの攻撃が始まって以来、自殺者が増え続けて今に至ると言われています。また、イスラエルのシオニズムを嫌って国外へ移住する人々も増えていると聞いています。20代から40代の働き盛りの国民のおよそ3割がすでに出国したとも言われます。イスラエル国内の良心的兵役拒否者については、かつてNHKの番組でも扱われたように、今も続いています。拒否をすれば逮捕され刑務所で拘禁されることになりますが、伝統的タブーを打ち破って声を上げる若者たちがおり、またそれを支援する団体も出来ています。それよりも最近の傾向では予備役の招集を拒否する人の割合が相当数いると報道されています。朝日新聞によれば、今年の3月下旬の時点で招集された予備役の約2割が応じなかったという報告があり、地上部隊に限って言えば約4割が応じなかったという報道もあります。それで兵役を免除されている宗教家たちからその特権を奪おうという政府の動きに対して、数万人規模の宗教的な人々がスタジアムに集まって反対集会を開くということも最近ありました。

 イスラエルに友人・知人がいる方もあろうかと思います。かくいう私もイスラエルの大学に5年間在学してお世話になった恩があります。まだ当時は今ほどナショナリズムが高揚してはいませんでしたが、私はキリスト者として見る視点はいつもキリストの十字架はガザに立っていると思っていますし、パレスチナの子どもたちが早く戦争から解放されることを祈っています。あるいは世界の資本家たちの強欲が優って、本当にパレスチナを抹消してしまうかもしれない。そして立派なリゾートを立てて、「どうだ、平和になっただろう」と世界の金持ちたちに向かって豪語するかもしれない。おぞましい見通しですけれども、そういう現実感で世界は見ている気がします。日本も他人事だと言っておれません。戦争を商機とみなす政界・財界の人間は沢山います。私たちは個人としてそういう流れに巻き込まれないようにしながら、何とか時代に抗って、祈りを集める他は無いでしょう。今殺されているパレスチナの人々の無念は気に懸けてもらえないこと、人は忘れてしまうことです。戦後80年たって私たちの国も先の大戦の酷さを殆ど忘れてしまったように思われます。イスラエルによるパレスチナ人虐殺の酷いニュースを聞きながら、その無念を感じ取るだけの敏感さを保つことができればと心から願います。

≪参考文献≫

サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ-パレスチナの政治経済学』岡真理他訳、青土社、2009年。

シェロモー・サンド『ユダヤ人の起源』高橋武智監訳、ちくま学芸文庫、2017年。

イラン・パぺ『パレスチナの民族浄化-イスラエル建国の暴力』田浪亜央江・早尾貴紀訳、法政大学出版局、2017年。

現代思想2018年5月号『パレスチナ-イスラエル問題ー暴力と分断の70年』、青土社。

ナイム・アティーク『サビールの祈り-パレスチナ解放の神学』岩城聰訳、教文館、2019年

ヤコブ・ラブキン『パレスチナとイスラエルーユダヤ教は植民地支配を拒絶するー』鵜飼哲訳、岩波ブックレットNo.1099、2024年。

早尾貴紀『イスラエルについて知っておきたい30のこと』、平凡社、2025年。

最上敏樹、「もはや時間は無い-アウシュヴィッツ解放80周年に」、『世界』2025年8月号、31-42頁。