申命記的歴史
『ヨシュア記』に続いて『士師記』をこの午拝では学んでいくことにします。『ヨシュア記』『士師記』『サムエル記』『列王記』までがイスラエルの歴史を書き綴る一つの歴史書と認められます。これらの歴史書がどのような観点から書かれたかを察するには、その一番最後を見れば分かります。そうしますと、『列王記』の締めくくりにはこのように書かれています。
ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。バビロンの王は彼を手厚くもてなし、バビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた。ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。彼は生きている間、毎日、日々の糧を常に王から支給された。(25章27—30節)
ダビデの王座を受け継ぐユダ王国は、ついにバビロニアによって滅ぼされまして、生き延びた王ヨヤキンは捕囚となって遠い異国の地バビロンに幽閉されていました。しかし、バビロンに情け深い王が現れて、ユダの王は獄から解放されて王族に相応しい接待を受け、以降、バビロンの王との友好を保ちながら平和に暮らしました。こうして、預言者エレミヤが預言した通り、捕囚地バビロンでの新しい生活がイスラエルに整えられたのでして、そこから歴史を振り返って、何故、神の民イスラエルが国を失うことになったのかを深く反省しながら、書き下ろされ、編纂されたのが、後に正典に残ることになりました、この一連の歴史書です。そして、イスラエルの国の運命については、モーセが書き留めさせた申命記に前もって予告されていて、それがイスラエルの歴史の骨格にもなっているところから、これらの歴史書を『申命記的歴史』とも呼んでいます。既に学んだ『ヨシュア記』もそうでしたが、これから学ぶ『士師記』もまた、モーセの律法である申命記の教えに貫かれて、一つの時代が物語られます。ここから私たちが何を学ぶかを簡単に整理しておきますと、第一に、私たちはこれらの書物を通して、歴史を支配なさる神を知らされます。歴史は人間の思う通りにはならない、とよく言われる通り、人類の歴史を導いておられるのは神です。たとえどのような民族であっても、その神の御前に謙って自らの歴史を振り返ることが真の知恵だと言えます。
第二に、人間は神との契約を完全に守り通すことはできない、という人間の罪深さについてです。『ヨシュア記』の終わりでは、イスラエルの民がシケムでの契約に際して、「わたしたちは神に従い通してみせます」という程の潔さで信仰生活に入りました。けれども、ヨシュアが「あなたがたにはそれはできない」と水を差しましたように、『士師記』ではそのイスラエルの民が壊れて行く様子が順を追って記されます。そして、こうした背きの歴史を隠さずに記すのもこの歴史書の特徴であり、私たちが学ぶべきところでしょう。自分の民族を誇るために国民の勝利と英雄の活躍ばかりを記す歴史には知恵がないことを聖書は知っています。むしろ、如何に失敗したか、そして、いかなる悲惨を味わったかを後世に伝えることこそ、真の平和に至る道であることを聖書の歴史を記した預言者たちは伝えます。
第三に、それでも神は民を見捨てなかったことの証しです。この歴史書が最後に記しますように、イスラエルはバビロニアとの戦争に敗れて国を奪われてしまいます。その原因は、イスラエルが神との契約を破って偶像崇拝に陥ったことにあります。その始まりが、『士師記』に記されます。しかし、先ほど『列王記』の終わりで確認しましたように、イスラエルの民はこの世から滅び去ったのではありませんでした。捕囚地バビロンにユダの王は生き残ったのでして、古い切り株から新しい芽が現れる希望が与えられました。イスラエルは背信によって神から手酷く罰せられたのですけれども、神は彼らを憐れんで、救いの御手を差し伸べられます。この点では、旧約の歴史書に限らず、聖書の全体がそのような視点から、神の救済の歴史を初めから終わりまで書き綴ります。エデンの園で人間は罪を犯したのですけれども、しかし、神の憐れみは人間から取り去られず、終末の完成に至るまで、神の救いの働きが歴史を導きます。
こうして、『士師記』にはかなり明確な歴史観がはめ込まれていて、ヨシュアとダビデの間に起こった出来事を、士師たちの活躍を通して綴ってゆきます。『ヨシュア記』でも学びました通り、聖書の歴史は、そこに人間の活動が展開してはいても、神が主体となって働いておられることを見て取ることが肝要です。それを忘れずに、『士師記』の一つ一つのエピソードを心に留めたいと願います。
カナン征服に関する二つの記述
さて、『士師記』には二つの序文が冒頭に置かれます。今日の箇所はその第一の序文に当たります。ここには、幾らか独自の伝承も見受けられますが、ほぼ、『ヨシュア記』に書かれていたことの繰り返しであることが分かります。ただ、重要な点で前の記述とは異なっています。第一に、これが「ヨシュアの死後」の出来事だとされていることです。そうしますとこれは、『ヨシュア記』の出来事とは別だということになります。そして、第二は、『ヨシュア記』が13章までの記述において、ヨシュアによる土地征服の完了を報告して、既に征服した土地を12部族に分配する、というヨシュア記後半の流れとなるのに対して、『士師記』が記すのはヨシュアの時代に土地への侵入がなされて、先きに12部族への分配がなされた上で、嗣業の土地を征服するための戦いが始まる、との順序です。そうしますと、イスラエルが約束の土地を実際に獲得する過程には、二つの異なる歴史観が並立することになりますが、私たちはそのどちらが正しいとむやみな詮索をするのではなくて、それらが両者ともイスラエルに流れ込んだ聖なる伝承として、あるがままを受けとめればよいと思います。細かい点で辻褄が合わないことなどが出てくるのですが、それを無理に調和させる必要はなく、それぞれの文脈で理解するように務めることが第一です。
ユダの優先
具体的に、今日の箇所をみますと、1節にありますように、イスラエルはヨシュアの死後、士師たちの時代に入ります。「士師」という言葉はまだここには出て来ませんけれども、第二の序文に登場します。「士師」とは「裁き司」とも訳されますが、イスラエルを窮地から救う救済者であると同時に、民の指導者として統治も行った英雄たちです。しかし、彼らにはもはや、モーセやヨシュアのような「主の僕」の面影はありません。士師たちはその時々に神が送ってくださった特別なカリスマに過ぎず、民の代表となるのはイスラエル各部族の長老たちです。ですから、士師たちの時代は長老たちの時代です。この頃、イスラエルを統一する強い指導力をもつリーダーは現れず、他国とのせめぎ合いの中で王国を統一する王の登場が待ち望まれています。つまり、士師の時代は神のメシア・ダビデが待望される前夜だと言えます。
1章の最初では、神の御旨を問う預言者がいないのが分かります。1節にある問い方は、おそらくウリムとトンミムのような占いによるもので、そこでイスラエルは戦いの先頭にユダが立つべきとの御旨を受け取ります。ここに、ユダ部族からユダ王国へと受け継がれる選びの線が描かれます。
ユダとシメオンが組むのは、彼らの母が同じであることと、同じ土地を分け合って住む部族であるからでしょう。この最初の戦いは、カナン人・ペリジ人を打ち破る大勝利でした。ベゼクという町、またアドニ・ベゼクという王の名はここで初めて登場します。「手足の親指を切る」というおぞましい刑罰は、先頭の能力を奪うという意味があるようですが、ここではそうした残酷な仕打ちをこれまで積み重ねた悪いカナンの王に対して神が正しい報復をされた、ことを伝えています。
ユダはさらに進軍を続け、エルサレムを攻略し、ユダの版図となるカナン南部の諸都市を次々に陥落させます。ヨシュア記15章によれば、ヘブロンとデビルを落としたのはカレブの功績ですが、カレブへの言及は12節から15節にかけてのオトニエルに関する出来事に限定されています。このオトニエルは、後で最初の士師として登場します。
未完の占領
16節から21節は、ユダによる嗣業の地の獲得と同時に、それが未完了であることを伝えます。まず、16節に「ケニ人」とありますが、これは出エジプト記に出て来るモーセのしゅうとエトロの一族をさします。士師記4章へ進みますと、モーセのしゅうとは「ホバブ」だと言われますので、「エトロ」「ホバブ」二つの名が並行することになりますが、こういうところは二つの伝承が重複するところです。ケニ人たちは「なつめやしの町」すなわちエリコからユダの荒れ野、ネゲブの沙漠にいて、ユダの人々と暮らしたとあります。
17節に出ている「ツェファト」はここにだけ出て来る地名ですが、民数記21章によれば、モーセの時代にイスラエルに滅ぼされたアラドが「ホルマ」と呼ばれたとあります。ここも、民数記とは異なる伝承の記事です。ともかくユダはここで「聖絶」に取り組んでいます。それは申命記で命じられたところの、神にささげられた戦いを表わしています。18節にある、ガザ、アシュケロン、エクロンは、後にペリシテの町となる地中海沿岸の5つの町のうちの3つ、そして、19節前半では、ユダは山地を獲得しています。「主が共におられた」とあるのは、このユダの戦いがヨシュアの時と同様であったことを表わします。しかし19節後半、
だが、平野の住民は鉄の戦車を持っていたので、これを追い出すことはできなかった。
この「追い出すことができない」現実が、士師記では初めてここで告げられます。さらに21節では、
エルサレムに住むエブス人については、ベニヤミンの人々が追い出さなかった
と報告されます。ここから、1章の記述は、ヨシュアの死後、イスラエルの民が嗣業の土地を獲得する過程において、ことごとく失敗して行く様子を書き連ねます。もっとも、完全に失敗するのではなくて、それは部族によって異なるのですが、土地の獲得はおしなべて未完了であり、そして、カナン人を追い出せなかったことが、その後のイスラエルの歴史に陰を落としているわけです。
イスラエルの新たな試練
21節から26節は、ユダに続いてヨセフの一族によるベテルの攻略を短く記しています。ヨシュア記が記すエリコの攻略にも似た記述です。27節から36節は各部族による征服未完了の一覧表で、丁寧にその表現を辿って行きますと、マナセは占領を徹底しなかったためにカナン人を残した風の記述になっていますが、エフライム、ゼブルンはもはや住民を追い出さず、アシェル、ナフタリに至っては彼らがカナン人の中に住み続けることになっています。さらに最後にくるダン族は、敵に追いやられて山地に留まり、平野に降りることさえ出来なかったとあります。
こうして、ヨシュアの死後、イスラエルによる土地の獲得は不完全なものに留まるのでして、それをまとめて述べた一文が28節です。
イスラエルも、強くなってから、カナン人を強制労働に服させたが、徹底的に追い出すことはしなかった。
これが良いことなのか悪いことなのか、どのような神の計画であったのかは、ここで簡単に結論づけるわけにはいきません。ただ、この時点での理由は2章1節から5節が結びとして述べています。イスラエルがカナン人を追い出さなかったことは、彼らの意志によることであって、神との契約違反であるということ。そして、神は約束どおりイスラエルと共におられるけれども、もはやヨシュアのときのように向かうところ敵無しとはせず、むしろ、カナン人を残すということです。つまり、追い出さなかったのはイスラエルの罪であり、追い出せなかったのはイスラエルへの罰である、ということです。ここに、ヨシュアの次の時代の、長老たちの時代の新たな試練が与えられて、救い主なる神に対する信仰が問われることになりました。主の御使いから、このメッセージを聞いて、民は声を挙げて泣いた、とあります。この「ボキム」という町はベテルのことではないかとも思われますが、しかし、その嘆きが真の悔い改めになれば、神はイスラエルを憐れんでくださるはずです。でも、その嘆きが形ばかりであれば、この試練によって、イスラエルはさらなる窮地に立たされます。
隣人となったカナン人はイスラエルの罠となる―これは、私たちが聖書から学ぶところの偶像崇拝への警告です。安易な多元主義や時代の潮流に合わせて節操のない宗教的な寛容に流れるならば、聖書の神との契約は断ち切られることを私たちも真剣に受けとめねばなりません。キリストへの忠誠を書いた単なる文化主義的な信仰は信仰とは言えませんから、私たちに何の救いの担保をももたらしません。キリスト者でない多くに人々に取り巻かれている私たちの隣人への接し方は、今朝もエフェソの御言葉に学んだ通り、キリスト者として隣人に愛の手を差し伸べることです。日本の伝統や文化を偶像にしないよう心がけながら、キリストの光に照らして、それらを神に喜ばれるものとして生かす取り組みが私たちの課題となるかと思います。神がカナン人を追い出さなかった理由は、イスラエルの躓きを通して彼らもまた神の救いに入れられるためであることは、旧約の歴史の果てに明らかにされます。それをキリストにおいて知らされた私たちは、何のために私たちがカナン人の只中に住むのかを知らされています。キリストの光によって周囲を照らすためです。
祈り
天の父なる御神、『士師記』を学び始めました私たちに相応しい聖霊の導きをお与えください。イスラエルが自分の罪を認め、そこに与えられたあなたの赦しがあってこそ、この啓示の書物が私たちにも伝えられました。悔い改めに生きるという、真実の道をどうぞこの国が選び取ることができますように。私たちもひとり一人、その真実の道を自分の人生の中に選び取ることができるように助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。